2014年9月10日水曜日

富士山Ⅱ

再び富士山麓、河口湖町。明日から実習だが、前の日に現地入り。宿泊するホテルでは外国人がちらほら、ホテル内の案内も英語表記がある。外国人観光客にとっても人気のスポットなのだろう。
8月半ばからポーランド・クラクフでの学会、その後、オーストリア、チロルでの調査と外に出ていて、9月4日に帰国。すぐに軽井沢などにでかけ、ここへ。今月は、この後もすぐに、浜松、富山へと行く予定。どこかにでかけることは好きだが、さすがに寄る年波、大丈夫かとふと不安になる。やらねばならぬことも多いし、、、
チロルは、イタリア側南チロルも含めて、共同研究者のI氏、I氏とレンタカーで見てまわることができた。おかげで頭の中にある古くておぼろげなるチロル像が更新された。なかなかにおもしろい。相当におもしろい。それも当初想定していたテーマとは違う点において。早く発表したいとうずうずするくらいである。
チロルは学生時代に足繁く通った地であり、育ててもらった地でもある。就職後も主たるフィールドにするつもりであったが、中欧の共同研究に誘われ、そちらがメインに。中欧が研究の中心となる中でだんだんとチロルは疎遠となってきた。が、いつかはチロルに戻りたい、専念したいとずっと思っていた。今年度からの共同研究でそれがようやく叶ったわけである。余生?はチロルで、というつもりである。
学生時代にチロル・インスブルック大学のスタッフにはお世話になった。折に触れて訪れてはいたが、今回、大学を訪れるのは13年ぶりとなる。M氏に研究室を訪ねると連絡していたその前日、インスブルックの中心、MariaTheresien St.のTheresian Brauereiという地ビール飲み屋で共同研究者と3人で外のテーブル席に座り注文を待っていた。と、その時に、店の中から、どこかで見たことのある顔、なんとインスブルック大のM氏、向こうもこちらに気づき驚いた様子、互いに駆け寄りハグ、再会を喜ぶ。我々はそこでビールを飲みつつ食事をしようと思っていたが、彼女によるとそこの食事はおいしくないとのこと、ビールだけ飲んで、その後、彼女の家にいって食事をしようと誘われる。むろん異論はない。彼女はもともとHall inTirolというインスブルックの隣町(インスブルックよりも由緒ある街、この町の現在もまた実は面白い!)に住んでいて、何度か行ったことがある。今はインスブルック市内に居を構えている。バスで彼女の家へ。そしてビール、ワインを飲みつつ、夕食をいただく。楽しい夜であった、、、
翌日は、大学へ。M氏に加え、同僚のA氏、そして既に退職された元スタッフでお世話になったK氏もわざわざ来てくれている。昔、学生時代に訪れていた時の話(A氏には、「おまえは毎日、熱心にコピーをしているな」と皮肉られていたものである)、現在のチロルの現況など、コーヒーにApfelstrudelアップルパイをいただきながら話す。最初にあってから20年以上が立つが、こうして受け入れてもらえるのがありがたい。同行のI氏からは、チロルが気に入っているのがわかりましたよ、と言われる。 そうでしょう!

2014年8月13日水曜日

富士山

昨日、今日と、富士吉田。来月、学生を連れてくる下見である。学部3年の時に、地形学の野外実習で訪れて以来か。山中湖の周辺、同じ世代の若者がテニスに興じる横で、火山灰や軽石の露頭を観察、野帳に柱状図を書く訓練をした。参加者お互いに「あれも青春、これも青春」と苦笑していたことを思い出す。
当時も吉田口の五合目までいったが今回も行ってみる。お盆休みもあって人でごった返している。外国人も含めた観光客の増加に、休憩施設、案内板など周辺環境の整備が追い付いていない印象である。世界遺産への登録を契機に、五合目に限らず富士五湖周辺も合わせて、更新が十分にされてこなかった古い観光地が、質向上を図ることができるかどうか、である。
富士吉田の街は、この周辺における中心地として重要な位置を占めていたことが、その商店街の規模からうかがえる。もろんご多分に漏れず、店じまいしてしまったお店も多い。 世界遺産である富士山観光の拠点となっていると考えていたが、どうも観光客はスルーしているようである。観光客向けの店も少ない。
車でくる観光客は直接、個々の観光スポットへ。五合目を目指す観光客、登山客も富士吉田の街にゆっくり滞在することなく、ヨーロッパでよくある山岳観光の麓の拠点となっていないよう。今回、驚いたのは、新宿から直接、五合目に行くバスが日に何本も出ているということである。五合目へのアクセス道路では夏季にマイカー規制をしているが、代わりのシャトルバスの乗り場、駐車場も街の郊外にある。背景には、首都圏からの鉄道によるアクセスが悪いということがあろう。東京方面から大月へJRでも時間がかかるし、乗り換えもある。加えて富士急がノロノロ走るし、登山電車というほどの周囲の光景もない。バスや自家用車で行った方がずっと楽である。アクセスの改善、そして富士吉田がノードとなる工夫が必要であろう。

2014年8月10日日曜日

全員集合

久しぶりの書き込み。前回の「ビール、ビール、ビール」という題の中身が全くない投稿が、いったいなんだったか、、、ビールは毎日のように飲んでいるのでよくわからない。S大の学生らと授業の後に、さいたま新都心のけやき広場で行われた全国の地ビールが集まるビール祭りにいったことか、あるいは科研の打ち合わせを神保町でやった後に御茶ノ水のドイツ。ビールを飲みに行ったことか、、、前者でもあちこちで造られる小麦のビールを試してみたが、後者では、ドイツ、バイエルンのフランチスカナーの小麦ビールの生を飲んだ。今年度から共同研究をする仲間、皆、ドイツ留学の経験があり、でてくる料理の品定め。ビールはうまいが、一杯1700円は高い!
O大学での集中講義から戻ったところ、、、暑い中の4日間はきつかったが、スタッフにもお世話になり、また、気持ちのよい学生らで満足している。彼らも満足したことを望むものである。
遠くの大学にいっている娘が帰宅、そして長男もなんと一か月の実習から戻る。久しぶりに家族全員が揃っての食事、長男の実習の話に耳を傾ける。良い経験ができているようでなによりである。

2014年5月28日水曜日

新しい職場にて

早いもので新しい職場にて2か月が過ぎた。「もう慣れましたか?」といろんなところで聞かれる。国立であれ私立であれ、大学という場の雰囲気、そこで棲息する人々はそう変わらないといえるだろう。

大きく変わった点といえば、
前任校では、朝、お弁当をもって出かけると、夕方帰宅時まで、棟から一歩も外にでない、ということがよくあった。研究室も教室も事務室も同じ建物内にあったからである。現在、研究室も教室も、事務室も、分散した建物にそれぞれある。しかも丘陵の斜面上にキャンパスは広がっているため、起伏がある。ときに息を切らしながら歩くことになる。運動不足解消にはよいかもしれないが、研究室から教室へ、教室から事務へ、最短かつアップダウンの少ない経路を探索中である。

あまり変わらないことといえば、
これまでは自動車通勤であったが、これからは、通常は電車で通勤し、荷物が多くなるときは車で、と思っていた。ところがけっこう車で通っている。中央環状線、山手トンネルを経由すれば、1時間ほどで行けるのである。首都高の朝の渋滞のネックは、5号線の上りと大橋ジャンクションである。が、朝も9時を過ぎれば、首都高の渋滞もある程度緩和されることがわかった。役に立つのは、グーグル・マップのナビである。グーグルは、アンドロイド携帯から位置情報を取得しており、そこから道路における車の速度を計算し、それを情報提供している。最近はやりの「ビッグデータ」の活用というやつですな。さらに、その情報から、2地点間の到達時間を計算し、最適なルートと所要時間を提示してくれる。この所要時間もほぼあてになり、これを頼りに通勤しているわけである。荒川と多摩川をまたいでいくわけであるが、この世界一(人口規模で)の都市の巨大さを実感する。

2014年4月1日火曜日

赴任、そして、お葬式

 この4月より新しい職場に異動することとなった。さいたま市のS大学から川崎市のS大学へである。どうして異動することになったのか、、、3月に何度も開いてもらった送別会などで語り尽くしたので今さら感がある。
今日は赴任の会とガイダンス。国立と私立では雰囲気がずいぶんと異なる。のんびり、まったりやってきた身にとって、予想はしていったことではあるが、適応できるか少々不安ではある。期限までに書類をきっちり提出できるかどうか、ということではあるのだが。
ガイダンスを中途で抜けて、一旦、帰宅の途につく。大学時代の恩師S先生が急死され、その葬式の前夜祭に出席するためである。帰宅後、車にて土浦の会場となる教会に向かう。土浦には少し早めについたので、市中心部に入ってみる。というのも、学部3年次に1年間、土浦に住んでいたことがある。亀城公園近くの某医院の下宿で、面白い経験をした。それはそれとして、土浦の街もずいぶんと変わってしまった、、、
学部3年の時にS先生が赴任され、以降、直接の指導教員ではなかったが、ずいぶんとお世話になった。当時、ブナ帯文化の調査をされており、阿武隈や奥日光、秋山郷、山形など、様々なフィールドに連れて行ってもらう機会を得た。
大の温泉好きで、温泉でなければ泊まる意味がないと、必ず温泉宿に宿泊した。掛け流しの湯槽の脇で寝そべって、たらいで大きな体にお湯をかけていた姿を思い浮かべる(そして、温泉の風呂場の配置を必ずノートに記録されていた)。あれは温海温泉だったか、玄関で打ち水をしているのをみて、ここがよい、交渉してこい、と値切りにいかされた。人と酒を飲みながらの聞き取り、、、お酒を飲んでいてもその日のうちにフィールド・ノートのデータを整理してしまう先生、、、
徒弟制度の下で、見よう見まねで、親方の仕事ぶりをみながら仕事を覚えていく。学問もそんな面があるかもしれない。その意味で、S先生は私の親方であった。親方の恩に報いていない、できの悪い弟子で申し訳ないとも思う。先生より教わった地理学のおもしろさ、楽しさを学生らに伝えていくこと、そしてまた、いわば職人芸といえる先生の調査の手法、それを誰もが使えるかたちで定式化、マニュアル化すること、それが残されたものの使命であろう。合掌。

2014年1月13日月曜日

高校サッカー

 高校サッカー、富山第一対星陵の決勝戦。最初からテレビで観戦しようと思っていたのだが、他のことをやっていて、気づいたときには、既に延長戦。後半終了間際の同点劇とのこと、ライブでみたかった。しかし、延長も終了間際に、富山第一のゴール!富山出身者としては喜ばしい限り。
 対市立浦和などの試合をみてきたが、富山第一は、個々の選手の技術も高いが、戦術が浸透しており、チームとしての完成度が高い印象。個人に頼る市立浦和などよりも明らかに勝っている。こうしてみると、サッカーどころと言われてきた埼玉や静岡などが必ずしも勝てなくなっている。優勝校もけっこう全国に散らばってきており、レベルの平準化が生じているといえよう。
 富山の高校時代、サッカーをやっており、「信じられない!」、「見る影もない!」と家族に言われるが、3年間、県選抜チームの選手であった。京都に遠征に行って、柱谷兄弟がいた京都府代表チームと練習試合をしたことがある。全く歯が立たず、打ちのめされた。かような時代から、よくもここまで、と感慨深い。サッカーの技術や指導に関する情報も全国にあまねく行き渡り、同じような条件で、どこでもサッカーができるようになったということであろう。
 サッカーに限らず、様々なスポーツで、あるいは他の事象においても、地域間の格差は縮小しつつあるのか、あるいは格差は残存、拡大しているのか、興味深い課題である。

2014年1月12日日曜日

 新年もはや10日を過ぎるが、何となく正月気分。
 六本木、学術会議講堂でのシンポジウム「大学教育の分野別質保証に関する教育課程編成上の参照基準:地理学」にでかける。これまで学会にて何度かシンポジウムを行って議論してきたことを踏まえての最終案の提示と議論と言うことである。今やっている仕事に関わるので、どのようにまとめられているか関心があった。言いたいことは山のようにあるが、これまでの議論に参加しているわけでもなく、今更感もあるのでよしておく。ただ、専門外の方がきていて、「地理学の姿がよくみえない」とコメントされていた、その事実は重く受け取るべきであろう。言いたいことは、今の仕事で述べることとしよう。
 学術会議の隣は、国立新美術館。シンポジウム終了後、まだ行ったことなかったので訪ねてみることとする。ガラス張りの概観、中に入ると日の入り込む広く開放感のあるスペース。美術館と言うよりも見本市会場のよう。興味を引く企画展もなく、ミュージアム・ショップなぞをのぞくだけで後にする。六本木あたりは、少し前に東京ミッドタウンの工芸展をみにきた程度。普段は用もないしあまり来ることもない。ぶらぶらしながら、ここもまだいったことのなかった六本木ヒルズへ。展望台へあがろうとしたが、入場料1500円ということで止めておく。日曜と言うこともあって、子供連れも含めてそれなりの人が行き来する。
 帰路、新宿三丁目で途中下車。DiskunionJazz館にて特売500円CDを3枚。タワーレコードにて、最近お気に入りのDustin O'Halloranの"Lumiere"と、渋いジャケのQuentin Sirjacq"Bright Days Ahead"。