2011年6月29日水曜日

チェルノブイリ、そして福島

 昨日、J大学にて借りたマリーナ・ガムバロフ他『チェルノブイリは女たちを変えた』社会思想社をパラパラとめくる。
 チェルノブイリの事故によって、ドイツも南部を中心に放射能に汚染され、土壌や食品の汚染が問題となっていた。その時の母親ら女性の思いや行動を綴った書である。政治家は、野菜を頬張り安全を訴える一方で、子を持つ母らは、子供を外で遊ばせるのを止めて冷凍食品や缶詰に走る、、、どこかでみた光景、そう現在の日本の光景である。
 チェルノブイリの事故は1986年の4月、私は、その6月から2年と4ヶ月、ドイツ、ハイデルベルクに滞在していた。その間、放射能に汚染された食材を口にしていたことになる。私の指導教員も周りの学生もあまり気にせず、すなわち、多くの人々は、通常の生活をしていたようだが、一方で、リベラル系の新聞が、「今週の放射能」という記事で、何に何ベクレルの放射能が検出されたと記事にしていたし、市民団体が、「食品に含まれる放射能」といった冊子を作って、牛乳やお菓子など、どの銘柄にどれくらいの放射能が検出されたか、どう対処すべきか、伝えていた。多くの「気にしない、気にしてもしょうがない」層と、一部の「危ない、何とかしなくてはいけない」層とに二分されていたといえ、これもやはり、今日の日本、関東における社会の対応と重なる部分があるといえる。
 これまでネットにおける放射能を巡る言説に触れてきた。それを踏まえた上で、当時のドイツにおける汚染の実態と社会の反応を振り返ってみたいと思っている。某所で話さなければならないことになって、その素材集めでもある、、、
 

0 件のコメント: