週末を久しぶりに家にて過ごす。小5の息子と久しぶりに別所沼公園の広場にてサッカー。周りにもお父さんと子供、カップルがサッカーに興じている。浦和らしい光景。息子の蹴ったボールはあちこちに飛ぶので、けっこう走り回ることになり、へたばる。
汗ばんで帰ると、妻が「県立美術館に行こう」。招待券をもらっていた小村雪岱展が今日までのこと、息子と3人ででかける。北浦和の県美は最終日の日曜でもあるのか、けっこうな人であった。大胆で直線を生かした空間の構成がうまいかな、と思う。ロートレックやドガの版画を思い出す。昭和の春信と称されるとのことだが、印象派やアール・ヌーボーの影響を受けているのだろうか。浮世絵から直に、そしてヨーロッパのジャポニズムから間接的に、伝統を継承・発展させたというところか。
pcオーディオを扱う雑誌やサイトに目を通す。すでに手持ちでCDリッピングに使っていたプレクスターpremium2でCDをwavでリッピングする。これもまたカセットテープをデジタル化するために買ったままずっと使っていなかったオンキヨーSE-U55XにてデジタルアンプRSDA-202へwavファイルを再生、出力する。CDを直接聞くよりもクリアで音が立っている、感じがする。デジタルあなどりがたし。真空管から全く逆方向へ来ているような気がするが、24bit 96khzの世界へと行ってみようかな、と。
2010年2月7日日曜日
研修会
土日と、蒲田にてJONAの検査員・判定員研修会に参加する。長時間、座して話を聞くのは久しぶり、時折ウトウトとしてしまう。学生の身が理解できる!
土曜の最後には、「なぜ日本で有機農業が進展しないか」をテーマにディスカッション。欧米に比べて日本における有機の普及が極めて低いことは、海外でも関心の的らしい。消費者の理解不足か、認証制度のあり方か、生産者による消費者ニーズへの対応不足か、、、有機の現場を直にみている検査員の方々から次々と意見がだされる。予定の時間を一時間以上オーバーして終了。
日曜は、アメリカの有機認証NOPとカナダの認証COR、そしてEU認証の講習会となる。JONAは既にCORの認証機関として登録されており、NOPそしてEUの認証機関となる予定とのこと。すなわち、JONAで認証されることで、これらの地域へと有機農産物・加工品が輸出可能となる。認証の基準がそれぞれの地域の農業の有り様を反映して異なっているのがおもしろい。例えば、カナダのCORでは、慣行圃場への緩衝地帯は8mとることと定められている。日本ではとても無理な相談であろう。
予定より早く終わったので、秋葉原に立ち寄る。ラオックス・アソビットシティ5階、マイクロトレインのディーゼル1万円のセール。ラオックスも、メルクリンに続いてマイクロからも撤退か。石丸Jazz&Classic館、店頭で500円ワゴンセール。みると以前にフロアでやっていたセールの残り、2枚購入。千石電商にて電池ボックスその他付属品購入。ポポン、タムタム、若松4階スーパーコムをのぞいて末広町から銀座線。
帰宅後、購入した電池ボックスに単3電池8本を入れて、デジタルアンプRSDA202を駆動させる。AC-DCアダプタよりもクリアでメリハリのある音になった、ような気がする。単なるプラセボかもしれないが、、、。RSDA202は、以前、真空管アンプを欲しくてスーパーコムをのぞいているうちに購入してしまったもの。最もチープなユニバーサル・プレーヤーであるパイオニアDV-585Aをつなげて、古ぼけたオンキヨーD-200Ⅱで鳴らしている。スーパーコムの新しい店員さんが、「車のバッテリーで駆動させると見違えるように音がよくなる」と話してくれたことを受けて、試みてみた次第である。
土曜の最後には、「なぜ日本で有機農業が進展しないか」をテーマにディスカッション。欧米に比べて日本における有機の普及が極めて低いことは、海外でも関心の的らしい。消費者の理解不足か、認証制度のあり方か、生産者による消費者ニーズへの対応不足か、、、有機の現場を直にみている検査員の方々から次々と意見がだされる。予定の時間を一時間以上オーバーして終了。
日曜は、アメリカの有機認証NOPとカナダの認証COR、そしてEU認証の講習会となる。JONAは既にCORの認証機関として登録されており、NOPそしてEUの認証機関となる予定とのこと。すなわち、JONAで認証されることで、これらの地域へと有機農産物・加工品が輸出可能となる。認証の基準がそれぞれの地域の農業の有り様を反映して異なっているのがおもしろい。例えば、カナダのCORでは、慣行圃場への緩衝地帯は8mとることと定められている。日本ではとても無理な相談であろう。
予定より早く終わったので、秋葉原に立ち寄る。ラオックス・アソビットシティ5階、マイクロトレインのディーゼル1万円のセール。ラオックスも、メルクリンに続いてマイクロからも撤退か。石丸Jazz&Classic館、店頭で500円ワゴンセール。みると以前にフロアでやっていたセールの残り、2枚購入。千石電商にて電池ボックスその他付属品購入。ポポン、タムタム、若松4階スーパーコムをのぞいて末広町から銀座線。
帰宅後、購入した電池ボックスに単3電池8本を入れて、デジタルアンプRSDA202を駆動させる。AC-DCアダプタよりもクリアでメリハリのある音になった、ような気がする。単なるプラセボかもしれないが、、、。RSDA202は、以前、真空管アンプを欲しくてスーパーコムをのぞいているうちに購入してしまったもの。最もチープなユニバーサル・プレーヤーであるパイオニアDV-585Aをつなげて、古ぼけたオンキヨーD-200Ⅱで鳴らしている。スーパーコムの新しい店員さんが、「車のバッテリーで駆動させると見違えるように音がよくなる」と話してくれたことを受けて、試みてみた次第である。
2010年1月5日火曜日
ブログ
気がつくと、一年以上ブログを更新しないまま過ぎてしまった。2009年の投稿はゼロ。書きかけの投稿はいくつかあるが、、、
正月は久しぶりに浦和にて過ごす。2日より一番下の子を連れて2人で富山の実家へと2泊3日の帰省。お年玉にトイザらスと、祖父母に甘やかされる孫となる。トイザらスのあるイオンは、正月休みの客で賑わう。どこも似たような店舗構成のショッピング・モールは、面白味に欠けはするが、中央と地方における消費財提供の格差を確実に縮めてはいるだろう。トイザらス脇のスポーツ用品店に入り、その品揃えの多さ、選択の幅の広さに驚く。昔はこんなにモノはなかったなー。この金太郎飴的モールと言えば、昨夏訪れたドイツの街を思い浮かべる。日本と異なり、比較的、中心商業地が維持されているドイツの街ではあるが、長く続く地場の老舗が全国的あるいは国際的なチェーン店に取って代わられる傾向が顕著であった。ベネトンやら何やらの衣料品店、スターバックス、ハードロックカフェといった飲食店が、どの街でも軒を連ねることとなる。伝統的街並みと賑わいは維持されているが、「日本のイオンが外にでただけでは?」と思った次第である。
4日に富山より戻る。帰省を決めたのが遅く、ほくほく線経由の特急はくたかと上越新幹線の乗り継ぎはむろん満席。テツの道を歩みつつある息子と大糸線、中央線経由で帰ることにする。糸魚川まで北陸線を特急北越で。糸魚川駅前の蕎麦屋で昼を取って駅に戻ると、大糸線を走る車両キハ52には、カメラを持ったテツの人たちが群がっていた。息子も彼らに混じってカメラを向ける。ホームで列車の入線を待っていると、隣のおばさんが、「なにが珍しいんかねー?」と彼らの姿をみてぼそりと言う。
一般のおばさん、おじさん、そして駅で撮影していたテツの人たちと2両編成の列車に乗り込む。大糸線沿線のここそこでも雪の中でカメラを構えた強者たちをみる。現在、大糸線を走るキハ52には配色が異なる3両があるが、老朽化によりこの三月でキハ120に置き換えられるとのこと、雪景色を走る最後のキハ52を納めておこうと言うことだろう。
南小谷にて特急あずさに乗り換える。ここからは新宿まで4時間の旅。安曇野から松本、諏訪、そして夜景のきれいな甲府盆地を経て関東平野へ。終着の新宿駅前は夜空に聳える摩天楼、、、これほど始発駅と到着駅の落差の大きい特急区間もないのではないだろうか。息子も興奮していた様子。埼京線にて帰着。
正月は久しぶりに浦和にて過ごす。2日より一番下の子を連れて2人で富山の実家へと2泊3日の帰省。お年玉にトイザらスと、祖父母に甘やかされる孫となる。トイザらスのあるイオンは、正月休みの客で賑わう。どこも似たような店舗構成のショッピング・モールは、面白味に欠けはするが、中央と地方における消費財提供の格差を確実に縮めてはいるだろう。トイザらス脇のスポーツ用品店に入り、その品揃えの多さ、選択の幅の広さに驚く。昔はこんなにモノはなかったなー。この金太郎飴的モールと言えば、昨夏訪れたドイツの街を思い浮かべる。日本と異なり、比較的、中心商業地が維持されているドイツの街ではあるが、長く続く地場の老舗が全国的あるいは国際的なチェーン店に取って代わられる傾向が顕著であった。ベネトンやら何やらの衣料品店、スターバックス、ハードロックカフェといった飲食店が、どの街でも軒を連ねることとなる。伝統的街並みと賑わいは維持されているが、「日本のイオンが外にでただけでは?」と思った次第である。
4日に富山より戻る。帰省を決めたのが遅く、ほくほく線経由の特急はくたかと上越新幹線の乗り継ぎはむろん満席。テツの道を歩みつつある息子と大糸線、中央線経由で帰ることにする。糸魚川まで北陸線を特急北越で。糸魚川駅前の蕎麦屋で昼を取って駅に戻ると、大糸線を走る車両キハ52には、カメラを持ったテツの人たちが群がっていた。息子も彼らに混じってカメラを向ける。ホームで列車の入線を待っていると、隣のおばさんが、「なにが珍しいんかねー?」と彼らの姿をみてぼそりと言う。
一般のおばさん、おじさん、そして駅で撮影していたテツの人たちと2両編成の列車に乗り込む。大糸線沿線のここそこでも雪の中でカメラを構えた強者たちをみる。現在、大糸線を走るキハ52には配色が異なる3両があるが、老朽化によりこの三月でキハ120に置き換えられるとのこと、雪景色を走る最後のキハ52を納めておこうと言うことだろう。
南小谷にて特急あずさに乗り換える。ここからは新宿まで4時間の旅。安曇野から松本、諏訪、そして夜景のきれいな甲府盆地を経て関東平野へ。終着の新宿駅前は夜空に聳える摩天楼、、、これほど始発駅と到着駅の落差の大きい特急区間もないのではないだろうか。息子も興奮していた様子。埼京線にて帰着。
2008年12月22日月曜日
パソコン
ebayにて香港のPCパーツ屋から購入したHPタブレットPC tx2000の上蓋が到着。同機の液晶を学生が誤って割ってしまい、交換用として求めたものである。当初、HPに修理の見積もりを依頼したが、なんと10万円!新しいものが買える価格であり、修理を断念。液晶のみを取り替えることにした。壊れた液晶を取り出して、メーカー、品番を確認して、同じ液晶をネットのどこかで求めればよいと考えていたが、ことはそう簡単にはいかない。液晶はよくある型であったが、その上にワコムのタブレット・シート(?)が貼られており、液晶裏面のユニットと接合されていた。割れたのは液晶そのものではなくこのシートで、これを無理矢理はがしてみると、中の液晶は無傷であった。液晶だけを元に戻してみると、しっかり作動する。が、当然、タブレットは使えない。このワコムのタブレット・ユニットはなかなか見つからず、それならば、と上蓋そのものを探し出したわけである。
早速、届いた上蓋から液晶を取りだして、付け替える。何の問題もなく起動し、タブレットも作動する。送料を入れて300USドル。HPさん、10万円は高すぎです!
続いて、トランセンドのSSD 32Gが到着。SSDもずいぶんと価格が低下し、8GのCFに変換アダプターをつけて入れているs30に載せかえることにした。CFでは、動きはもっさりとしていたが、SSDにかえると、爆速とまではいかないが、軽快に動くようになった。ThinkPadはとにもかくにもキーボードが秀逸で、打つことが快感になるほど。これでまだしばらくは現役でいけそうである。
早速、届いた上蓋から液晶を取りだして、付け替える。何の問題もなく起動し、タブレットも作動する。送料を入れて300USドル。HPさん、10万円は高すぎです!
続いて、トランセンドのSSD 32Gが到着。SSDもずいぶんと価格が低下し、8GのCFに変換アダプターをつけて入れているs30に載せかえることにした。CFでは、動きはもっさりとしていたが、SSDにかえると、爆速とまではいかないが、軽快に動くようになった。ThinkPadはとにもかくにもキーボードが秀逸で、打つことが快感になるほど。これでまだしばらくは現役でいけそうである。
2008年12月19日金曜日
2008年12月18日木曜日
忘年会
JONAにて有機JASの判定委員会。JONAの事務所の最寄り駅は地下鉄銀座線京橋駅である。京橋駅の銀座寄り、南の出口をでたところにINAXのビルがあり、その1階に住や食を中心とした品揃えの本屋がある。なかなかおもしろそうな本や雑誌を揃えており、たまに立ち寄る。今日は、入り口近くで山の本の特集、相変わらず、北欧インテリアものが多い。そして、奥のカウンター近くでは、鉄道本を並べていた。ここにまで鉄道ブームが、と思っていたら、2階のギャラリーで「デザイン満開 九州列車の旅」という特別展をやっていた。JR九州の車両デザインへの取り組みを紹介するものであり、昼に少しだけ覗く。模範は北欧か?「北欧スタイルNo.15 世界一のデザイン鉄道」を購入してしまう。
夕刻、慌ただしく丸の内東京ビルに移動する。東京駅界隈は、ここそこのビルでクリスマス模様の電飾、華やいだ雰囲気。有機の食材を中心としたビュッフェ形式のレストラン「野の葡萄」にてJONAの忘年会。故郷富山に繋がる人らと同席、ブリやらタイの蒲鉾やら、地元ネタに話をさかせた。
夕刻、慌ただしく丸の内東京ビルに移動する。東京駅界隈は、ここそこのビルでクリスマス模様の電飾、華やいだ雰囲気。有機の食材を中心としたビュッフェ形式のレストラン「野の葡萄」にてJONAの忘年会。故郷富山に繋がる人らと同席、ブリやらタイの蒲鉾やら、地元ネタに話をさかせた。
2008年11月29日土曜日
めぐろシティカレッジ
都立大学附属高校にて、「大学都市としてのハイデルベルク」として2時間の話をする。目黒区主催のめぐろシティカレッジ「街並みから読み解く歴史と風土」シリーズの一講座である。学生時代に2年間、ハイデルベルクにいた。ということでお鉢が回ってきたわけだが、はて、ハイデルベルクのことは、実はよく知らなかったりする。今回、あれこれ調べてみて、幾多の発見があり、やはりこの街のことを知らなかったと実感した。例えば、以下のような事実がある。
1950年代、学生数の増加に対応するために、大学は旧市街にあった学部すべてを新しいキャンパスIn Neuenheimer Feldに移転する計画を立てた。しかし、ハイデルベルク市当局は、旧市街に大学があり学生がいることが、街での生活や雰囲気づくりに良い影響を与えているという認識から、将来にわたっても大学が留まることを望んだという。数多くの折衝を経て、1956年、人文系学部が旧市街に留まり、残りの自然系学部のみが新キャンパスに移転することで合意した。ここで大学側が市に対して、大学に適した建物を用意すること、また、騒音対策をとることを条件としてだしている。ハイデルベルク市は、こうした大学の要求を満たしたとのことである。かくして、1960年代から1970年代にかけて、移転するなどして使われなくなった公共建築物が大学向けに改築されていった。
ハイデルベルクの旧市街では、各学部や学科がやたらと分散し、狭い横丁に入り口があったりするが、このような経緯があってのことだと、はじめて知った次第である。ハイデルベルク市にとっても、大学にとっても、文系だけとはいえ旧市街にキャンパスを残したことは、良い選択であったのではなかろうか。今日、大学全体で約2万9千人の学生のうち、1万7千人が旧市街で学ぶ。
帰り道、乗換の恵比寿にてModellbahnに寄る。つもりが、迷い込んで代官山。閑静な住宅街に、洒落たカフェ、レストラン、ブティック、ヘアサロン、、、おしゃれをした若い女性が多い。おじさんには場違いだが、ユニークな空間であることは確か。Modellbahnにはたどり着けたが、そのホームページの地図は何とかしてほしいと思う。
1950年代、学生数の増加に対応するために、大学は旧市街にあった学部すべてを新しいキャンパスIn Neuenheimer Feldに移転する計画を立てた。しかし、ハイデルベルク市当局は、旧市街に大学があり学生がいることが、街での生活や雰囲気づくりに良い影響を与えているという認識から、将来にわたっても大学が留まることを望んだという。数多くの折衝を経て、1956年、人文系学部が旧市街に留まり、残りの自然系学部のみが新キャンパスに移転することで合意した。ここで大学側が市に対して、大学に適した建物を用意すること、また、騒音対策をとることを条件としてだしている。ハイデルベルク市は、こうした大学の要求を満たしたとのことである。かくして、1960年代から1970年代にかけて、移転するなどして使われなくなった公共建築物が大学向けに改築されていった。
ハイデルベルクの旧市街では、各学部や学科がやたらと分散し、狭い横丁に入り口があったりするが、このような経緯があってのことだと、はじめて知った次第である。ハイデルベルク市にとっても、大学にとっても、文系だけとはいえ旧市街にキャンパスを残したことは、良い選択であったのではなかろうか。今日、大学全体で約2万9千人の学生のうち、1万7千人が旧市街で学ぶ。
帰り道、乗換の恵比寿にてModellbahnに寄る。つもりが、迷い込んで代官山。閑静な住宅街に、洒落たカフェ、レストラン、ブティック、ヘアサロン、、、おしゃれをした若い女性が多い。おじさんには場違いだが、ユニークな空間であることは確か。Modellbahnにはたどり着けたが、そのホームページの地図は何とかしてほしいと思う。
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